トラウマ|Tangoの話であったり なかったり

トラウマ

2018年8月22日

 新宿までドルへ両替に行くと、レートのいい店では既に売り切れ。そこまでではないんだけど、まあ他に比べたら......という店で両替しようとすると、「旧札しかありませんが大丈夫ですね?」と聞かれました。昔あるとんかつ屋でヒレ定食を注文して、店の主人から「ヒレで大丈夫ですね?」と念を押されたときと同じ不安が頭を過ぎりました。店主にその発言の意味を確認すれば良かったのに、食事中ずっと味すら感じないほど(この選択で正しかったのだろうか......)と考えてしまった経験を踏まえ、「旧札は使えないとかってあるんですか?」と聞き返すと、アメリカとかなら問題ないけど一部の東南アジアでは使えない場合もあるらしいと言われ、アルゼンチンではどうかと確認すると、あっさり「わかりません」と答えられました。今日に限っては両替屋さん、強気です。

 仕方なくOKしました。今後さらに円高が進んだり旧札がアルゼンチンで使えなかったりしたら、どうぞ笑ってやってくださいませ。

 その足で高尾山へ。登山が目的ではなく温泉です。結果的に3時間くらいかけて疲れを癒そうと務めたわけですが、僕が予定していたほどくつろぐことはできませんでした。......いや、くつろげないというより、余計な映像が目に入ってしまい、その残像がどれだけサウナで汗と一緒に流そうとしても、水風呂で精神を統一して消そうとしてもへばり付いて離れなかったからです。

 ......というのも、肩から腰にかけてゆっくりお湯が流れる「座り湯」というのがあって、そこでボーッとしていると、いろいろ推測するに小学校おそらく低学年であろうと思われる男の子が、おもむろに自分のじゃがポックルみたいなものを、人差し指と中指の間に挟んでボールペンででも遊ぶみたいにぶらぶら上下させはじめたわけです。男の子の隣には父親がいるものの注意する様子はまるでなく、通り過ぎる人たちは皆、一瞬ギョッとしたのちほっこりした顔して去っていきます。僕はどのように振る舞うことが正しいのかよくわかりませんでした。男の子は満面の笑顔で僕のほうを見ながら得意気にぶらぶらさせておりました。