変化|Tangoの話であったり なかったり

変化

2018年3月10日

 単発的なライティングや企画、プロジェクトの一員といったことはやっておりますが、一冊丸々編集というのは何年ぶりだろう??? 作業の進め方がハイテクで、僕のようなロートルは慣れないソフトを触るだけでもドキドキしています。けど、なんでしょうね。昔に比べて同じ文字直しをするにしても、正しいか正しくないか、読みやすいかそうでないかだけではなくて、ライターさんの言葉がより活きるようにという部分に多く頭を使っていることに気が付き驚きました。今の僕は、編集者としての技量は当時に比べてきっと格段に落ちているはずなのに、前より字面以外の部分がよく見えるようになった気が致します。これは、きっとこじつけではなくタンゴのおかげだと思いました。例えばミロンガやレッスンでの立ち振る舞いを見れば、どんなに曲の背景やダンスのテクニックを知っていたとしても、その人がどのくらいの深さでタンゴに向き合っているかわかります。タンゴの話をするときよくダンサーの名前が出ますが、僕は全然知らなくて、思い返してみると、生まれて初めて観たステージタンゴもほとんど寝てました('-'*)。ただ、当時話したこともなかったマリア・ニエベス先生が舞台に立った瞬間、劇場の空気が一変した気がして目が覚めて、そのときだけは食い入るように観てました。なんか......人間じゃない、別の生き物を発見してしまったような感覚。圧倒的な存在感と一目でわかる繊細な脚の動きに、思わず僕は、ボソッと「化け物だ......」と呟いたはずでございます(笑)。

 そのせいでしょうかね。きちんと踊るために適切な動きは必要であるものの、美を追及したタンゴより人間臭さが滲み出たタンゴが僕は好き。そんな風に思いながら生きていくうちに、編集者としての目も変わっていったのかも知れませんね。