時代|Tangoの話であったり なかったり

時代

2019年4月24日

 平成もあと一週間......それは即ちZONA TANGO TOKYOまで一週間を意味するわけでもありますが、「令和」という年号が発表されたときから比べると、自分のなかで随分しっくりきていることに気付き、また、平成が終わることへの寂しさが一段と増して参りました。

 僕はミロンガの選曲やオーガナイズをする際、とにかく「昭和っぽくならないように」ということを心掛けてきました。タンゴの多くは50年どころか100年近く前の曲なので、実際のところは昭和の時期に当たるんですけどね。これはもう僕の感覚としか言いようがなく、共感を得られるかどうかも別として、僕のなかでは昭和臭のする曲としない曲というのがハッキリ分かれていて、ミロンガでも例えばバブル臭が漂っていると引いてしまいます。

 しかしながら昭和から平成に移るとき、当時の僕はその重みなど何もわからず、バブル期にいい思いをしたかと言えば実感もなく、ただその時代を自分なりに必死に生きていただけでした。しかしよく考えてみれば、20歳そこそこで毎月一億円以上のマンションを売り捌いていたのですから、やはり時代はバブルだったのでしょうという感じ。ちなみに3ヶ月で辞めましたけどね('-'*)

 これまでの僕にとって、「昭和っぽくない=平成」だったわけですが、では「平成っぽい」とは一体なんなのだろう? と改めて自分に問いかけてみたらよくわかりませんでした。パッと浮かんだのはアナログ文化からデジタル文化への移行でしたが、これは平成っぽいとかいうレベルではない気がするし......。令和になってしばらく経たないとわからないのかも知れませんね。