親父の命日|Tangoの話であったり なかったり(β版)

親父の命日

2020年1月27日

 きょうは親父の命日です。この話をすると、いよいよたけしはイカれたのかと思われそうであまりしたことはなかったのですが、朝起きてそんな気分になったので書くことにします。何年か前。まだ僕がSinRumboのマスターだった頃。特に印象に残る夢を見たというわででもなく、親父の命日の朝に目が覚めたら今までとはまるで違う景色が広がっていました。物や人の感じ方も......。思考を巡らせても深さが違う。別人になったというより突然OSがバージョンアップしたといったほうが近いでしょうか。知り合いのお坊さんから、「ある日、土手を歩いていたら突然目の前に光の輪があらわれて、全身がバチバチバチってしたかと思ったら悟りを開いたような感覚になって、それをきっかけにこの世界に入った」という話を聞いたことがあって、そのことを思い出しました。外を歩けば人の姿が動物に見えたり心の中が透けてみえたり。突然の変化に自分自身がまったく付いていけず、嬉しいというよりはむしろ恐くて、当時の常連さんでこの手の話を理解してくれそうな女性に打ち明けたところ、けっこう興味を持って聞いてくれたのですが、そのあとタンゴを踊ったら、「ホントだ。なんか全然違う......」と言って、以来、店に来てくれることがなくなりました(´;ω;`)。人と会っても音楽を聴いても飛び込んでくる情報が多すぎて、しかしハードディスクやメモリの容量が増えたわけではないので、すぐにフリーズするわバッテリーは切れるわという状態。なるべく不要な情報をシャットアウトするというのが僕の処世術になりました。

 正直に言えば、今も上手にコントロールなんか全然できていないのですが、そんなのきっと誰も同じで、いかに自分と向き合うかが大事。そうすると、僕はあのとき悟りを開いたわけでは決してなく、それまでの悩みが少しだけ解決したに過ぎないということに気付きます。タンゴに例えるなら、練習してもなかなか出来なかった身体の使い方が、ふとした瞬間スムーズになるという感じでしょうか。継続による成長には、伸びたり落ちたりを繰り返しながらゆっくり成長するものと、突然の閃きという少なくても二種類があると思います。また、自分との向き合い方には、自分の身体と向き合う、自分の思考と向き合う、自分の心と向き合うという三種類があって、どれも同じくらい大事。僕は家の環境からタンゴの世界に入ってきたので、周りを見渡すとみんな楽しそうで、そこまでタンゴが好きなわけじゃない自分に劣等感を抱いていました。そんなことを思いながら続けていくうちに、いろんな出会いや経験をして少しずつタンゴが楽しくなってきて、いつの間にか劣等感はなくなり、むしろタンゴを楽しそうに踊っているシーンを見るのが嬉しくて、柄じゃないかも知れませんがミロンガを企画したりタンゴを教えたりしているわけです。だからといって胸を張って「タンゴが好き」と言える自分はまだなく、......いや、好きという言葉はしっくりこなくて、「Like」や「Love」というより「Life」という感じでしょうか。しかしながら、年を追うごと、もっと言えば昨日より今日。タンゴを楽しく感じているということは間違いなく、きっとこれからもそれが続いていくのだろうなと思っています。

 なんだかとりとめのない話を書いてしまいましたが、まあそれはいつものことだし、きょうは特に父の命日ということで許して下さいませ('-'*)