核|Tangoの話であったり なかったり(β版)

2020年4月28日

 スマホも新しくなったことだし写真とアプリの整理をする。そういえば、Twitter、Facebook、Instagramどれも滅多に見なくなってしまったな......。写真や言葉から垣間見える心から目を背けたい。......なんて呑気なことを言っているあいだにとてつもないスピードで時代は変わり、対応しようとしている人やチャンスだと感じている人を心から尊敬しています。

 一応僕も勉強したり企画を考えたりと準備はしているのですが、果たしてこれが僕のやりたかったことなのか? というところで止まっています。生きていくためというなら、僕はそもそもこの仕事を選んではいないでしょう。自粛要請期間が終わったとして感染のリスクがおさまったわけではなく、僕はどんな気持ちでレッスンやミロンガを再開すればいいのか。少なくても「衛生面には十分気をつけているから安心して来て下さいね」と心からは言えないだろう。そんななかでも学びたいと仰って下さる生徒さんがいて、その気持ちに応えるべく最善を尽くす。この気持ちに嘘はまったくないのですが、逆に言えばそれが今の僕の限界です。タンゴをすすめることに罪悪感すら抱いてしまっていて、この気持ちが晴れる日がいつ来るともわからず、「頑張って乗り越えましょう!」というSNSなどでの声が遥か遠くに聞こえます。我が家は決して裕福ではない、というか貧乏ですが、それを引き換えにしても余りあるものをタンゴに感じているから続けてこられているのに、素直な気持ちですすめられない僕がいる。これはあまりに致命的な問題です。でもね。今までもこの生活を当たり前と思って過ごしてきたわけではないけれど、こういうことがあると、より大事なものが浮かび上がってきますよね。やっぱり僕はタンゴをやめるという選択肢は1ミリもなくて、それは仕事としてではなく、いろいろ麻痺しているけど必要だから。ここら辺の考えが核となって、今後のタンゴ人生が形作られていくような気がしています。